保守派が集まった「新党」がどのように合流して分党して、また「新党」をつくったのでしょう

4日間の新党「太陽の党」(石原新党)

念願の石原慎太郎氏との新党結党で、「たちあがれ日本」のメンバーはかなり嬉しかったはずです。亀井静香はこの新党には結局参加していません。亀井静香の方はどうだったのかというと、国民新党を離党した後に、旧知の仲でもある石原慎太郎と新党結成を図るため、水面下で活動していました。そして亀井静香が狙っていたのは、石原慎太郎と小沢一郎を連携させることでした。ところが石原慎太郎のほうはどうだったのかというと、小沢一郎に対して強い嫌悪感を抱いていたことから、亀井静香の(石原慎太郎+小沢一郎との連携計画)は頓挫します。

石原慎太郎のほうは日本維新の会代表の橋下徹大阪市長と連携して、第三極運動を展開することを表明して、このときに石原慎太郎のほうから亀井静香に対してこの新党へ参加してはとの要請がありましたが、今度は亀井静香のほうが橋下と石原では政策理念が違うじゃないか!と石原慎太郎を批判しているため、結局石原氏から新党への参加は拒否されるとになり、亀井静香は石原新党へ参加することはありませんでした

「たちがれ日本」から「太陽の党」

石原慎太郎の参加で「たちあがれ日本」は党名を変更して「太陽の党」へと党の名前を改名します。平成24年(2012年)11月13日に「たちあがれ日本」は党名変更する形式で、新党「太陽の党」(英文:Sunrise Party

結成を総務省に提出しました。「太陽の党」という名前は園田博之幹事長の発案で決まったようですが、このときにもやはり石原慎太郎氏の「太陽の季節」で石原氏と太陽は欠かせないものだということからの発案だったようです。

「太陽の党」の代表には石原慎太郎と平沼赳夫が共同代表として務めて、「たちあがれ日本」に所属する現職国会議員5名に石原慎太郎が参加する形を採っての結党でしたたが、「たちあがれ日本」から衣替えした新党に、民主党を離党した中津川博郷も合流する意向を示しました。

合流を断念した他の党

衣替えした石原新党なる「太陽の党」には注目度も高かったのか、11月15日には「減税日本」が「太陽の党」に合流するという発表もありました。ところが、翌日16日に「太陽の党」のほうで「日本維新の会」と合流することになったため、「減税日本」の合流は一旦棚上げとなり再協議するものとされました。「減税日本」を率いる河村たかしは、名古屋市内で記者団に対して合流撤回することを否定してはいないため、今後も衆院選などで連携を取ると考えていましたが、結局21日の時点で「減税日本」は「日本維新の会」との合流を断念して、「減税日本」はどこへごうりゅうしたかというと、22日に亀井静香と民主党を離党した山田正彦が率いる「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」と合流することになり、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の結成に合意することになり、11月28日に滋賀県知事嘉田由紀子と飯田哲也が結党した「日本未来の党」に「国民の生活が第一」とともに合流することになりました。

合流した「日本維新の会」

「太陽の党」代表石原慎太郎と「日本維新の会」代表の橋下徹が11月16日に、東京都内でトップ会談を行います。トップ会談の場で、「太陽の党」が「日本維新の会」へと合流することに合意します。そしてその合意内容が翌日17日に正式発表されました。「日本維新の会」は小選挙区で日本維新の会としての統一候補を擁立することになったため、なんと「太陽の党」は結党してからたったの4日!!!で消滅することになりました。「維新の会」と「太陽の党」が合流した理由の背景には、「維新の会」の資金難と「維新の会」が小選挙区に出馬するための出馬予定議員が不足しているということがあります。「太陽の党」と「維新の会」が合流した後の「日本維新の会」となった代表に就いたのは、石原慎太郎で代表代行に橋下徹。そして国会議員団代表には平沼赳夫が就任しました。

政治資金規正法の上で、11月19日付で(届出は26日)代表者が石原慎太郎から別の人物に交代したため、「太陽の党」は第46回衆議院議員総選挙が終わった後も形式上は存続しました。政党助成法の上で11月21日付けで政党要件を満たさなくなったため12月3日に解散等届を提出して、総務省よって12月7日に特定交付金の交付が決定されました。