保守派が集まった「新党」がどのように合流して分党して、また「新党」をつくったのでしょう

たちあがれ日本、太陽の党、そして新太陽の党

「たちあがれ日本」が結党されたとき、正直なところ第一印象が年寄りばかりの党だなぁ~と思ったのが第一印象です。しかもごり押し感の強い「たちあがれ日本」って名前もこれまたすごいな。と思ったのもありますが、後にマッチョな政治家石原慎太郎が「たちあがれ日本」をネーミングしたと知って・・・なるほど~~と納得できました。

政党名として「たちあがれ日本」の名前を聞いて、てすごい政党名をつけたな。と思いますが、「たちあがれ日本」の代表になった平沼赳夫は、最初に新党名として「日本保守党」を提案したところ、作家の肩書きを持つ石原慎太郎は「ダサイ」と一蹴したため、あれやこれやの名前が候補にあがり結局「たちあがれ日本」という政党名に決定したそうです。それから「日本維新の会」へ合流したり、分党したりといろいろありますのでどのような流れになったのでしょうか?!

「たちあがれ日本」

「たちあがれ日本」として結党の後 ⇒「太陽の党」に党名変更 ⇒「日本維新の会」へ合流 ⇒「日本維新の会」分党 ⇒「次世代の党」 ⇒ 「日本維新の会」 ⇒ 「維新の党」(結いの党と合併)となっていましたが、政治資金規正法に基づいて「太陽の党」は活動がないうえでそのまま政党として存続していました。ところが、休眠状態だった「太陽の党」が再び復活しています。ただし再び復活した「太陽の党」は石原慎太郎や平沼赳夫といったメンバーは在籍していません。「たちあがれ日本」からどのような流れになったのでしょうか?!

保守層の受け皿としての結党

郵政民営化に反対して平成17年(2005年)に自民党を離党してから、平沼赳夫議員は無所属での活動を続けていました。そして自民党では民主党の単独過半数獲得を阻止するのは無理だ。と平成22年(2010年)4月に与謝野馨議員などが自民党を離党しました。そして選挙にむけて民主・社会民主党・国民新党の連立政権の批判と、保守層の受け皿となるべく、結党したのが「たちあがれ日本」です。

発起人には、石原慎太郎・藤井孝男・中川義雄・園田博之・平沼赳夫・与謝野馨で、代表についたのは平沼赳夫そして共同代表には与謝野馨がつき「たちあがれ日本」が結党したのは平成22年2010年4月10日です。

新党「たちあがれ日本」を結党して、誰が参加するのか?!という点ですが、発起人でもある平沼・与謝野・藤井孝男・園田博之の参加はほとんど決定でした。もちろんこの人たち以外にも、参加するのでは?!といった噂が出ていました。中川義雄・中山恭子・城内実・小泉龍司・鴻池祥肇・丸山和也・後藤田正純・舛添要一といった人たちの名前も噂されていたので、政党要件を満たために必要な5議席以上の確保も簡単にできるとみられていました。ところが、実際には調整が難航したため、「たちあがれ日本」が結党した時に実際に参加したのは中川義雄で、2ヵ月後の6月21日に中川の妻、中山恭子が合流しただけでした。

第22回参議院通常選挙

平成22年(2010年)7月11日に行われた「第22回参議院通常選挙」では、現職の中川義雄、前自民党参院議員で片山虎之助、前衆議院議員の中山成彬、前衆議院議員の杉村太蔵、野球評論家の中畑清などを比例区で擁立しました。ここで、なぜ元総務大臣の片山虎之助が自民党ではなくたちあがれ日本からの出馬になったのかというと、平成19年(2007年)参院選で落選した後に自民党から比例区で出馬する意向を示していましたが。ところが自民党は比例候補に定年制を設けたため、片山を公認しないことを発表していたこともあって、なんとしてでも選挙に出たい。と自民党以外の党からの出馬を模索していたからです。

選挙区のほうでは、4つの選挙区(青森・茨城・東京・神奈川)で新人公認候補を擁立しています。推薦では5つの選挙区で自民党候補を推薦(秋田・山梨・岐阜・岡山・熊本)、日本創新党候補者を推薦したのは千葉と大阪の選挙区でした。この選挙期間中には足高慶宣なる候補者が党の制止を振り切って、尖閣諸島への上陸を試みて、選挙期間中でありながらも比例名簿から削除といったこともありました。

選挙結果は・・?!というと、党として目標に掲げていたのは選挙区と比例区での合計7議席には届きませんでしたが、比例区で片山虎之助1議席を獲得しています。参院選での議席は改選前の3議席と同じ3議席となりました。そして「新党改革」と統一会派を組みますが、「新党改革」は参院選で6名から2名へ激減したこともあって活動に制約がかかることもあって3議席の「たちあがれ日本」と2議席の「新党改革」を合わせると、参議院の会派は5名になるので、予算委員会での審議に参加できる人数となることもあって「たちあがれ日本・新党改革」を結成しました。「たちあがれ日本」が比例区で獲得した票は、123万2207票ですがこの得票は「国民新党」「新党改革」を上回る結果となりました。

離党した共同代表

参院選が終わり12月に「たちあがれ日本」は民主党から連立政権への参加を打診されます。連立政権への参加に賛成したのは「たちあがれ日本」の共同代表の与謝野馨だけでした。ほかのメンバーは民主党の連立政権へ参加などもってのほか。と連立に入ることを否定しました。参加に賛成した与謝野は浮き党内で孤立しました。そのため翌年平成23年(2011年)1月13日に与謝野は離党届を提出して受理され、与謝野は離党した直後に民主党の管直人第2次改造内閣へ少子化・社会保障・税一体改革担当大臣として入閣します。「たちあがれ日本」を離党して連立に参加した与謝野に対して、同じく衆議院議員の園田博之は民主党打倒を掲げた結党精神を忘れたんじゃないのか。といった批判をしました。