保守派が集まった「新党」がどのように合流して分党して、また「新党」をつくったのでしょう

日本創新党~The Spirit of Japan Party~

「日本創新党」を結党するにあたって、母体となったのは「よい国つくろう!日本志民会議」でした。保守系の地方首長や地方議員などで結成された新党ですが、母体の「よい国つくろう!日本志民会議」も、地方公共団体の首長および首長経験者が主体となっていた政治団体です。

そのメンバーは、全山形県知事の齋藤弘、北海道松前町長の前田一男、北海道森町長の佐藤克男、福島県元南会津町長の湯田芳博、富山県富山市長の森雅志、島根県益田市長の福原慎太郎、前神奈川県横浜市長中田宏、神奈川県座間市長の遠藤三紀夫、岡山県岡山市長の高谷茂男、岡山県総社市長の片岡聡一、広島県呉市長の小村和年、大阪府松原市長の澤井宏文、埼玉県さいたま市長の清水勇人、静岡県浜松市長の鈴木康友、栃木県高根沢町長の高橋克法、大阪府和泉市長の辻宏康、愛媛県松山市長の中村時広などがメンバーでした。

いざ国政選挙へ!

第22回参議院議員選挙に向けて、5席以上の確保とキャスティングボートを目標に掲げて、選挙区4名そして比例区では6名合計10名を日本創新党の公認候補として擁立しました。党本部も「よい国つくろう!日本志民会議」の事務所が置いてあった東京都渋谷区東から東京都新宿区本塩町へと移転しました。

そして「たちあがれ日本」は「日本創新党」と同じく「日本を救うネットワーク」に参加しているということもあって、協力関係を構築します。5つの選挙区(青森・茨城・千葉・神奈川・大阪)で両党の候補を一本化して互いに推薦し合います。そして選挙後には統一会派を結成することで合意して選挙へ臨む準備を進めました。新右翼系政治団体の維新政党の「新風」は資金難から第22回参院選の出馬を見送っていたことから、「新風」と協議を行いその結果、東京都選挙区から出馬する山田宏党首を支持する運びになりました。

第22回参院選の結果

5席以上確保を目指して参院選に臨みましたが、その結果は選挙区と比例区ともに議席を確保することが出来ませんでした。そして「たちあがれ日本」が推薦した候補者も落選しました。「たちあがれ日本」の候補者はが供託金没収のうえでの落選でした。5議席の獲得のほかに、目標の一つだった民主党政権の過半数割れは結果的に達成はしていますが、「日本創新党」としては惨敗でした。1議席も獲得できなかったため、「たちあがれ日本」との統一会派結成案は立ち消えとなりました。

都道府県別の比例区得票率で見てみると、比例区から出馬した齋藤弘政策委員長が知事を務めた山形県では得票率6.0%という結果でこの結果は公明党に次いで第5位と善戦しましたが、多数の党幹部・支援者が地盤とする大票田の東京都・千葉県・神奈川県・大阪府はいずれも得票率1%台と低迷しました。そしてその他の42道府県はすべて得票率0%台となっていて、その中でも福井・岐阜・三重・和歌山・鳥取・島根・徳島・高知・佐賀・大分・沖縄の11県では、「女性党」「幸福実現党」の得票をも下回った結果となって、名簿届出政党の中で最下位の結果になりました。

東京都選挙区から出馬した山田宏党首はどうだったのでしょうか。得票率3.3パーセントの200,692票を獲得しました。その結果、供託金没収点を上回りましたが、他の残る3名は全員供託金を没収されました。比例区でも493,620票(得票率0.8%)の獲得に留まったため、1議席の獲得に627,748票の不足でした。

没収された供託金は総額で4500万円に上り、比例区での得票率が1.0%を割り込んだため、選挙中の新聞広告については実費負担を強いられることになりました。

参院選後

参院選が終わった直後の記者会見で示した意向は、「たちあがれ日本」を始めとした保守政党との連携を強めながら、地方選挙に候補を擁立する意向を表明しました。そして選挙後の翌月平成22年(2010年)8月16日に新宿区から港区虎ノ門べ事務機能を移転して、10月6日には日本創新党の党本部自体も港区虎ノ門に移転しています。

11月7日に臨時党大会を開催して、その場で山田宏党首と中田宏代表幹事はそれぞれ再任されましたが、山形県知事の齋藤弘は政策委員長を辞任したため、公式サイトの「メンバー」欄からも削除されています。この臨時党大会には「たちあがれ日本」代表の平沼赳夫衆議院議員と自民党の衛藤晟一参議院議員、そして臨時党大会の後に行われた懇親会に自民党の下村博文衆議院議員がそれぞれ出席して、保守政党間での連携の必要性を確認しあいました。。

そして東に本題震災が平成23年(2011年)3月11日に発生した際に、日本創新党の関連組織「日本を創新する会」が約790万円の義捐金を集めて、宮城・福島・茨城の三県に救難ボランティアを派遣して物資の輸送や炊き出しなどの支援活動を行いました。

リベンジを狙う

参院選では議席をひとつも確保できなかったリベンジを果たすべく、第17回統一地方選挙にむけて動きます。平成23年(2011年)4月に行われた第17回統一地方選挙で、改選を迎える所属議員5名のうちの、港区の山本閉留巳を除いた4名と元職1名・新人4名の合計9名を公認したほか、大阪維新の会4名に、たちあがれ日本公認1名、中央みらい1名を推薦しましたが、統一地方選挙の結果は、公認では候補は現職の3名と元職1名が当選して、現職1名と新人4名が落選しました。また推薦候補の方では、大阪維新の会の公認候補2名と無所属の1名が当選ましたが、日本創新党所属の山本を含めた残りの6名はすべて落選しました。

この統一地方選挙で、日本党所属の地方議員数は公示前より1名減ってしまいましたが、大阪維新の会公認の推薦候補者2名が入党したため、差し引きすると1名増になりました。そして平成23年(2011年)8月の埼玉県杉戸町議会議員選挙では、公認候補が1名当選したので所属地方議員は9名になりました。

大阪維新の会

平成24年(2012年)2月5日に東京都内で開かれた日本創新党の大会で、橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会との連携を強化して、政界再編を目指す方針を示しました。そして党大会直後の2月26日には、大阪維新の会で政調会長を務める浅田均大阪府議会議長が「日本を創新する会」主催のパーティーに出席して、互いの連携をアピールしました。

この当時、政界やマスコミなどで議論を呼んでいたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については、党内でも意見の相違が見られました。TPP加盟を推進する立場は、山田宏党首・中田宏代表幹事です。ところがTPP参加に反対する所属議員には、東京都議の土屋敬之や荒川区議の小坂英二などがいたため、党としての理念と政策については、「国益を守りつつ戦略的に推進する」という一文を盛り込むことで着地しました。

日本創新党の解党

平成24年(2012年)9月23日に報道が伝えられました。その内容は、日本創新党とかねてから連携を深め進めてきた大阪維新の会を母体として発足した日本維新の会に合流するために、解党する方向で検討を進めているという内容です。日本維新の会と日本創新党とは、政策などに共通点が多いことに加えて日本維新の会が、原則として政党間の連携を行わない方針を打ち出したことが合流する背景にあったといいます。

日本創新党の党内からは「解党というのではなく、選挙協力という形で日本維新の会とはできないのか。」といった解党に対して反対意見も出ましたが、9月29日午後に開かれた臨時党大会の議決によって正式に解党することになりました。党大会後の記者会見の場で、山田宏党首は解党の理由について「政界再編のため発展的に解消する」「日本維新と自民党の安倍晋三総裁といった良識的な保守層との接着剤になる」といった説明をしています。そしてそれに加えて「維新が議席を得なければ大きな力を発揮することはできず、覚悟と決意はある」と語り、日本維新の会から次期の総選挙に出馬する意向を表明しました。

解党するにあたって、日本維新の会へ合流するか否かは所属するメンバー各自の判断に委ねられ、主要メンバーの山田宏党首や中田宏代表幹事などは日本維新の会へ合流して、小坂英二荒川区議や清水隆司政策委員は合流を否定もしくは保留するメンバーとなりました。