保守派が集まった「新党」がどのように合流して分党して、また「新党」をつくったのでしょう

休眠していた「太陽の党」がふたたび

わずか4日だけだった「太陽の党」は、橋下徹代表が率いる「維新の会」と合流したことですっかり忘れ去られた存在になっていました。ところが休眠していた「太陽の党」が再び活動することになったとは驚きです。

休眠から再び活動することになった「太陽の党」が活動することになった記者会見が、平成26年(2014年)9月25日に衆議院議員会館で行われました。その場に登場したのは誰だったのでしょうか?!そして「太陽の党」と「維新の会」はどうなったのでしょうか?!

「太陽の党」と「日本維新の会」

2014年東京都知事選挙が行われましたが、このときに石原慎太郎が支援したのは田母神俊雄(たぼがみとしお)です。田母神は元航空幕僚長でもあり、その任に就いている際に自身の論文で集団的自衛権の行使を日本国憲法違反とする政府見解であったり、村山談話(1995年8月15日発表)とは異なる主張をしたことなどが問題視されたため、航空幕僚長の職を解かれたこともあるいかにも石原慎太郎が東京都知事選で支持しそうな人物でもあります。その田母神俊雄と衆議院議員の西村眞悟が休眠状態の「太陽の党」を引き継いで新党を結成するという内容でした。

記者会見には旧「太陽の党」共同代表だった石原慎太郎と、旧「太陽の党」参議院代表や会計責任者を務めた藤井孝男が同席しました。党名の旧「太陽の党」は英語表記では"Sunrise Party"でしたが、新「太陽の党」の英語表記には定冠詞のThe がついて "The Sunrise Party"となりました。

どうして休眠から始動になった?!

休眠状態だった「太陽の党」が、ふたたび始動することになったのは田母神氏と西村眞悟の存在があったからです。西村眞悟はかつて「たちあがれ日本」のメンバーでもありました。「たちあがれ日本」に参加して「たちあがれ日本」が「日本維新の会」となり、西村眞吾は2012年第46回衆議院議員総選挙の際に「日本維新の会」の公認で比例近畿ブロック単独候補としての出馬で、衆議院として政界に返り咲いていました。

ところが、会合の席で韓国人売春婦発言があり、その場にいた党員から西村眞吾の発言が問題視され、発言を撤回要求されその場で自身の発言を撤回した上で、維新の会へ離党届を出していますが5月18日に除籍となっていました。そのため、無所属での活動となっていたことあり、石原氏としてみれば復党さすのも軋轢があるしだったら太陽の党を活用しよう。といった考えでふたたび「太陽の党」は西村眞吾と田母神で始動する運びとなりました。

「日本維新の会」

平成24年9月28日に設立された「日本維新の党」には設立してすぐに「日本創新党」も合流します。そして、当初はもともと党代表に付いていた橋下徹ですが「太陽の党」が合流したことで、石原慎太郎氏と共同代表での運営となりましたが、「日本維新の会」の内部では橋下氏が率いる(西軍ともいわれる)の「大阪維新の会」系議員と、石原慎太郎が率いる(東軍といわれる)「太陽の党」間での政策面でのズレなどが、マスメディアなどで指摘されていました。

橋本徹も個性が強く、石原慎太郎も個性が強く、そして東軍にはベテラン国会議員が多く西軍は政治家としての手腕はまだベテランの域ではない議員などが多いということもあって、「日本維新の党」としてはマスコミから東西対立しているのでは?!といった質問には一貫して否定していました。そして党内運営も大きな問題はなく行われていたとマスコミ陣を相手に語ってはいますが、突如分党合意の発表となりました。

東と西やっぱり分党

平成24年(2014年)5月28日に、「日本維新の会」の共同代表の石原慎太郎と橋下徹との間で分党が合意となり、翌日29日に党執行役員会で「日本維新の会」の分党が正式に決定となりました。分党することの理由について、石原慎太郎は、「結いの会」と合流を橋下徹氏が急いでいるが「結いの会」とは憲法観が合わないこと、そのため「結いの会」と一緒に同じ党としてやっていくことはムリとの認識を示しました。そして「日本維新の会」の分党は6月22日に行われた臨時党大会で正式決定されることになり、石原慎太郎たちは6月26日に、新党を結成してその名称が「次世代の党」になることが発表されました。「次世代の党」の流れは「たちあがれ日本」「旧太陽の党」の流れですが、「たちあがれ日本」系の議員すべてが「次世代の党」になるというわけでもなく、「たちあがれ日本」で参議院議員選挙で当選した片山虎之助など、「たちあがれ日本」系出身の議員の何名かは橋下新党に参加しています。そして「日本創新党」系出身の元杉並区長山田宏、元横浜市長の中田宏の維新議員、そして西軍とみなされてきた議員らの何名かも「次世代の党」に参加することになりました。

「維新の党」

「みんなの党」も平成21年(2009年)に渡辺喜美・江田憲司・浅尾慶一郎・山内康一・広津素子の5名で結党していますが、2013年にゴタゴタしてきました。特定秘密保護法を巡る政策の違いや、野党再編んい向けて渡辺代表と江田幹事長との対立が激化したため、「みんなの党」を除名された江田憲司たちを中心に設立した「結いの党」と合流を嫌ったのが、石原慎太郎が代表の「次世代の党」ですが合流に肯定的だったのが、橋下徹のグループでした。

「日本維新の会」は分党して、橋下徹が「維新」の名前を引き継ぎ「結いの会」と合流することになりました。そして、どっちが主導権をとるのかといったことで、合流する段階からゴタゴタしていましたが「結いの党」が解党したうで合流することとなり、「維新の党」になりました。「日本維新の会」側は「維新」の名前をなんとしてでも残したいという思惑があり、「結いの党」は新しい名前で党のイメージを一新したいという思いもあり、結局のところ政党の本部は大阪本部、代表者は橋下徹、政党名は「維新の会」で落ち着くことになりました。

これで新党ができては合流。はたまた離党してまた新党、合流して今度は分党などといった動きはそろそろ終わりにして、本腰をいれて政治面での論争を求めたいものです。